(ブレーキニュース 韓国語 2008/01/07)
<歴史研究者生涯研究大公開-1> 日本皇室の根
1.<笠沙>港に上陸した首露(スロ)王の七人の息子たち
日本は、武力で脅迫して、我が国の統治権を劫奪してから5年後の1915年6月29日、朝鮮総督府警務令を布告して「治安上の理由で、金海(キムヘ)を本貫とする金氏の族譜発行を禁止」させた。警務令と言うのは一体どのような命令か、他人の系図の発行さえ規制することができる強制力からまず見てみよう。日本語辞典によれば、警務令というのは,「国家の安全と社会公共の秩序を守るために、国民に対して強制し、その本来の自由を制限する命令」だ。
西暦1985年に実施した国勢調査によれば、我が国には274種の姓氏があり、金氏はその中の一つだ。その上、その金氏には少なくとも285種の本貫があり、金海金氏はその中の一つに過ぎない。そんな金海金氏の系図が、なぜ「日本の国家安全と社会公共の秩序を害する」と日本政府は思ったのだろうか?その謎を解くには、問題の原因を提供した金海金氏の族譜をよく見るしかない。
西暦1864年(甲子年)に発行されて伝わる金海金氏の系図には次のような謎に満ちた文章が見られる。
【金海金氏の始祖である首露(スロ)王には10人の息子がいたが、四番目から十番目までの七人の息子は、世の中の有様に悲観して、雲に乗って国を発った】
金海金氏の系図にある謎のようなこの文章が、日本政府にとって、系図の刊行を禁止させなければならないほどに「日本の国家安全と社会公共の秩序を害する」と言う理由は何だろう?
これに対する解答は、日本の一番古い歴史書である『古事記』と『日本書紀』にあるおよそ次のような記事で捜し出すことができる。
【今日、日本と呼ばれる国を建国した皇室の始祖は、天国から雲に乗って、九州にある<高千穂嶺>の<クシフル>に下った】
金海金氏の系図内容と『古事記』、『日本書紀』の記述は果してどんな関係があるのか?それを理解するのはあまり難しくない。
まず、<高千穂嶺>の<クシフル>というのは、首露王が天から金塊に乗って下ったという<亀旨嶺クチブリ>が音変化した名前だ。その横には<高千穂嶺>より高い<カラクニダケ韓国岳>があり、その裾に広く広がっている地域には、<七熊の村>というのがある。
<七熊の村>と言う所は、熊が住む村と言う意味ではなくて、<七人の金氏が住んだ村>を意味し、天国から雲に乗って来たという金首露王の七息子が住んだ所をさすのだ。
ある人々は「人が雲に乗って行ったとか来たとか非現実的な言葉を、歴史的事実と結び付けるものはあるのか?」と疑うかもしれないが、そんな疑問も簡単に解ける。なぜなら,『古事記』と『日本書紀』に載せられている日本の建国神話には、下のような現実的な補充説明が添えられているからだ。
【(天国から来た)<ニニギノミコト瓊瓊杵尊>は、<アダ吾田>の<カササ笠沙>に至って、「この土地は、韓国を望み、笠沙の岬を正面に見て朝日のまともに射す国、夕日の照り輝く国である。」と言って、その場所に定着するようになった】
まず『古事記』と『日本書紀』に<天国>と表現されている所は、伽揶を意味するという事実から確認する必要がある。
そして、ここに見える<笠沙>は、今日の薩摩半島尖端にある港口だ。すなわち、首露王の七息子たちは、雲に乗って空に上がったのではなくて、船に乗って大韓海峡を渡り、九州にある笠沙に到着したことが分かる。その郷土誌編纂委員会が収集した資料には、彼らが初めて上陸する時、飛び石として踏んだという第一番目の岩の話を含めて、多くの遺跡が残っており、そのような事実を具体的に納得させてくれる(西暦1979年11月発行「笠沙の神話・伝説」参照)。
面白いことに、イギリスから<Mayflower>号に乗って北米大陸に渡って来た102人の清教徒は、プリマスに上陸した1620年12月26日、初めて足を乗せたという岩が今も遺跡として保存されているという事実だ。この<エピソ-ド>は、首露王の息子たちが初めて足を乗せたという岩の話とあまりにも似ていないだろうか!日本の皇室の始祖の名前である<ニニギノミコト>は、<一番早い時に来た>+<神聖な人=王・天皇>を意味する言葉だ。
2.<神武天皇>は首露王の6代(または7代)の孫
『古事記』と『日本書紀』の話を総合すれば、次のような事実が浮び上がる。
@<神武天皇>は<ヒグマの村 大?の里>で育った
日本の人々は<ヒグマの村>を<大?の里>と表記するが、元々は<大きい金の村>、すなわち、日本に渡って来た首露王の七息子の中で一番上の子である四番目の息子が定着した所を<ヒグマの村>といったことが分かる。
A西紀370年(庚午年)に生まれた
彼が第1次<大和王朝=ウガヤ王朝>を征服しようと<日向>を去ったのは西紀414年10月(甲寅年)なのに、その時彼の年は計算すれば45を数えたと言う。首露王が世を去ったのは西紀199年なので、彼は首露王が逝去してから約170年後に生まれたわけだ。一世代を30年と見たら、彼は首露王の5代孫の息子であり、結局首露王の6代の孫であるわけだ。
B<神武天皇>の本当の名前は<仁徳天皇>だ
<神武天皇>が第1次<大和王朝>を滅亡させて皇位に上がったことは、<日向>を離れた西紀414年以後7年ぶりと述べたら、その時は西紀421年だ。宋史によれば、西紀421年に倭国王、讃が武帝に朝貢した。日本の学者たちはこの讃が、仁徳天皇を示す名前と口をそろえて言っている。したがって、日本の歴史に最初の天皇となっている<神武天皇>と言う名前は、首露王の子孫による革命事件を隠すために、歴史を歪曲させる時に造作になった虚名であることが分かる。
革命で皇位に上がった首露王の後裔が、皇位に上がった西紀421年に、宋の国の皇帝に朝貢することで、それから認定を受けようとしたことが分かる。
このようにして、この頃から続いている日本の学者たちによる歴史の歪曲は、かれらが天と等しく担いでいる第一天皇<神武天皇>の名前から始まったことであり、彼らの学者らしくない拗くれた行態は、すでに痼疾化になった長年の宿患であることが分かる。
宗家に暮す韓国の人々は、開業から偽りで構えられた彼らの歴史を、権力者たちによって歪曲されやすい文献としてではなく、日本語の語源を明かして、日本語が韓国語のなまりという事実を確認させることで直していかなければならないだろう。(翻訳 2ch 蚯蚓φ氏)
日本という国号は元々韓国人が使った(ブレーキニュース 韓国語 2008/01/08)
<歴史研究者生涯研究大公開-2> 伽揶族の自治領
最近(2003年6月23日)、日本の共同通信が以下のようなとてもおもしろいニュースを伝えた。
「東京大学医学部人類遺伝学教室徳永勝士教授は、人間の第六染色体内に存在するHLA遺伝子群を利用してヒト遺伝子(ゲノム)を比較研究した結果、日本の本土人と一番近い集団が、韓国人と中国に居住する朝鮮族に推定される、という結論に到逹した。徳永教授は、日本人、韓国人、中国朝鮮族、満州族、モンゴル族など、12の民族(集団)を比較分析した結果、日本の本土人は沖縄人や北海道の「アイヌ」族より韓半島(朝鮮半島)に住む韓国人と中国の朝鮮族に一番近かったと明らかにした。
日本の本土人に一番多く現われるHLA遺伝子型はHLA-B52-HLA-DR2で、北九州地方から山形県に至るまで12%以上存在し、モンゴル人には5〜8%現われた。一方、HLA遺伝子は沖縄人では2%、アイヌ族では1%に留まった。この研究結果は、7月に東京大学出版部が出版予定である公開講座叢書に収録される予定だ。
一方、鳥取大学医学部井上貴央教授チームは、稲作導入と青銅器伝来に象徴される弥生時代に生活した人々のDNAが現代韓国人のそれと一致する、という研究結果を出した。鳥取大研究チームは弥生時代の遺跡である鳥取県青谷上寺の寺跡から出土した弥生人の遺骨のミトコンドリアDNA塩基配列を分析した結果、このような結論を得た。研究チームは、弥生人遺骨29体のうち7体からDNAを抽出することに成功した後、4体のミトコンドリアDNA塩基配列を確認する過程で、これらが韓国の現代人及び本州の日本人と等しいグループに属する、ということを明らかにした。
日本の人々は、西暦770年頃から今日に至るまでの長い歳月にかけて、「日本列島に住んでいる人々は列島で生まれたし、日本列島の外にいる人々とはどんな血縁関係もない天孫だ」と主張して来た。
しかし、もはや動かすことができない遺伝学的証拠の浮上に、彼らの虚無孟浪な主張は、これ以上できなくなってしまった。遅すぎる感はあるが、彼らは好むと好まざるとにかかわらず私たちと同じ血を分けた韓民族であることを認めざるを得なくなったのだ。
このような事実は、彼らが常にあげる古事記や日本書紀を含む彼らの古文書を先入観のない目で読めば、前から分かっていた明らかなことだった。まず、古事記と日本書紀に書かれている建国神話から見て見よう。
「天の国から下った天孫」瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)一行は、鹿児島県野間半島の端に至って「笠狭崎の前を通り過ぎようとしたところ、ここは加羅国(=加耶国)に向かっているだけではなく、朝日が燦爛と射し、残光も美しく映える所だから非常に良いと言って、その場所に大闕を作って定着した。」
この記録は、天孫瓊瓊杵尊とその仲間が、親兄弟を残して来た故郷、カラ(加羅=加耶)をしのぶ心情をよく表現した記述だ。その上に、彼らは彼らが定着した地域で一番高い山をカラクニダケ(韓国岳)と呼んで今日に至る。それだけではない!皇室は、古代から宮中に韓神を奉じて仕えて、毎年春と秋の二回、韓神祭を行っている。西暦927年に、当時の国務総理の位だった藤原忠平が編纂した延喜式には、韓神祭を執り行なう時、祭床にあげる祭物の種類と祭祀の手続きが詳らかに記述されていて、近年に至っては、春に行う韓神祭の2月21日を建国記念日に制定して、皇室のみならず、全国民が祝祭を執り行なっている。
天孫と言う皇室がカラ(加羅=加耶)から来たカラゾク(加羅族=加耶族)でないなら、どうしてこんな事があり得るだろうか?加羅族(=加耶族)が開拓した日本列島が、独立して自治領になって、自ら「ヤマト(日本)」と名乗り始めたのは、西暦663年、百済が滅亡した後からだ。「ヤマト(日本)」は、元々'魏志'に記録されている邪馬国を示す名前であり、慶北高霊地方を中心に盛んだった加羅(=加耶)の宗主国「ウガヤ=上加耶」を指す。すなわち自治領になった日本列島に暮すようになった彼らは、彼らこそ宗主国「ウガヤ=上加耶」を継承する国であることを主張したことが分かる。
吉田東伍が発行した『大日本地名辞書』の'国号論'と、そして、明治三十三年正月に発刊された'歴史雑誌'第十一篇一号に、次のように書かれている。
*「日本」という国号は、元々韓国人らが早くから使って来たものだが、我が国がその名前が美しいから国号に決めた。(伴信友)
*「日本」という文字は上古から使ってきた'ヒノモト'という言葉に、漢字をあてて使ったものであり、「日本」という名前そのものは三韓の人々が始めたものだ(星野恒)
*「日本」という国号は、元々韓国人らが使ったのだ。それが我が国の国号により適切だから万世不変の呼称になった。(木村正辞)
明治時代のすぐれた碩学らが口をそろえて証言しているように、「日本」という名前は韓民族がずいぶん前から使ってきたものを、百済の属領だった列島の人々が、独立した時からそれを国号にしたことが分かる。
「日本」と漢字で書いた名前は、列島の人々が独立した時には「ヤマト」と書いていたところ、近世に漢字音で読むようになってから、私たちの言葉で「日本」と読むようになったので、それを音に移した「ニッポン」と言うが、今は「ニホン」と発音する人も多くなった。明治初期に、それを直して「ニッポン」と直して発音するように緊急国語審議会を開催して決議した。その後、公式文書には「ニッポンNippon」と使われるが、一般では今も相変らず「ニホンNihon」が混用になっている。(翻訳 2ch 蚯蚓φ氏)
浦項延日出身の呉氏が日本で呉国を立てた(ブレーキニュース 韓国語 2008/01/09)
<歴史研究者生涯研究大公開-3> 呉(呉国)を立てた'延烏郎'
日本の天皇家秘史を話そうとすれば、なによりも先に、今日の日本民族といわれる日本人が私たちと同じ血を持つ一つの民族だという事実から明らかにしておく必要がある。
太古の我が民族は「太陽を先祖と仰ぎ仕える太陽信仰族」だった。そのような関係で、私たちは自らをカラ(伽羅=加耶)族だと自負した。
カラ(伽羅)と言うのは私たちの古語で「太陽」と言う意味で、その語源は「ハラ=太陽族」で、時が流れることによって→子音変化を起こしたせいで「ハラ→カラ」に音変化した。
これは、ずいぶん前から今日に至るまで、日本の天皇が自ら祭主になって、「カラカミ(韓神)」を一年に二度奉祀を行う事実から立証されて、春季祭日の2月11日は建国記念である(我が国の開天節)に制定されている。
初代天皇になった首露王の子孫
皇国主義思想にどっぷり陥っている日本の学者の大部分は、今も「日本の皇室は初代神武天皇から現在在位中の第125代ヘイセイ天皇(平成天皇)に至るまで、同じ血統で継続して来た」と豪言を並べている。
しかし、それは全く根拠がない虚言に過ぎないことは、疑問の余地がないし、初代天皇になった人は、末期アラカヤ(下加耶)の首露王の七代の孫だ。
金海金氏の系図によれば、始祖首露王にはもともと息子兄弟十人がいた。彼の王后は、タイ(泰国)中部で栄えた太陽王朝国「アユタヤ(Ayuttaya)」から婚家に入った許氏だった。彼女が生んだ十人の息子のうち、七人は、百済から伝わった熊信仰思想に染まって、太陽崇拜思想に固執する兄たちを後に残して日本の九州の南部地方に移住し、七熊里を作ってその場所に定着した。
後に初代天皇で即位したのは、彼ら七兄弟の中のひとりだったし、日本の歴史学者たちは彼を「オ-ジン天皇=応神天皇」と記録した。第15代「オ-ジン天皇=応神天皇」の即位次期は確かではないが、おそらく西暦420年頃のことと見当がつく。
実在しない人物を神武天皇という名前で登場させた日本の学者たちは、第15代「オ-ジン天皇-=応神天皇」に至るまでの空白を埋めるために、神武天皇から第14代までの天皇を幽霊で満たさざるを得なかった。
呉国を立てた延烏郎(ヨンオラン)
僧一然が編纂した三国遺事に、およそ次のような文が残っている。
「第八代阿逹羅(アダルラ)王巳年(四年)に東海辺に住んでいた延烏郎(ヨンオラン)という人が日本に渡ってその地域の王様になった。」
阿逹羅王巳年(四年)は西暦157年に当たる。そして、延烏郎の'延(ヨン)'は浦項(ポハン)近くにある「延日(ヨンイル)」という村の名前を減らして示したものだ。その場所は正しくオ(呉)氏の「本貫(ホンガン)」がある場所であり、延烏郎の'郎(ラン)'は若い男をさす言葉であることは明らかだ。
延烏郎が立てたという呉国は、日本史にオー・クニ(大国)と書かれており、王になったと言う延烏郎は、「オー・クニヌシノ・ミコト(大国主命)」と記録されている。彼らが支配していた地方は今の島根県地域だ。延烏郎が東海(日本海)を渡った当時の日本列島は、カラ族(=太陽崇拜族)と高句麗の前身である「オロ族」が暮していたが、熊信仰族に転向した首露王の子孫に征服されていた。
大国主命と呼ばれた延烏郎の子孫も、海軍を率いて島根県の出雲市の稲佐の浜に奇襲上陸した首露王の子孫に降伏しなければならなかったことを付け加える。(翻訳 2ch 蚯蚓φ氏)
日本は韓半島古代部族国家が建てた国(ブレーキニュース 韓国語 2008/01/10)
<歴史研究者生涯研究大公開-4> 「日本(ニッポン)」という国号の由来
今日の「日本(ニッポン)」という国号は、元々「ヤマト(邪馬臺)」であった。そうした事実は、日本の万葉集は勿論のこと、魏志(倭人伝)の記録からも立証される。
そして彼らが初めて漢字で「日本」と表記し始めたのは、確実ではないがおそらく西暦670年前後、天智天皇の時代のことであったと推定される、と日本の学者たちは述べている。
注目すべきは、当時は「日本」と表記はしても今のように「ニッポン」と訓んだのではなく、それ以前と同じく「ヤマト」と訓んでいたという事実だ。そのような事実は、西暦750年頃に編纂されたと推定される万葉集に載っている歌で、漢字で「日本」と表記されている国号がすべて「ヤマト」と訓まれていることから、確認することができる。
それが今のように「ニッポン」または「ニホン」と呼ばれるようになったのは、「日本」に対する我が国の漢字音「イルボン」を真似たからだということを、認識せねばならない。すなわち、漢字の「日本」を我が国で「イルボン」と発音したが、彼らはそれを最初は「イルボン」と発音し、次第に「ニホン」と発音するようになったのだ。
ここで我が国の「イ-」が「ニ-」に、「-ル」が「-ッ」へ変わったというのは、現在我々が「イシ」と発音する「李氏」をかつては「ニシ」と発音し、漢字の「達」を我が国では「ダル」と発音するが日本人は「タツ」と発音するような「音韻変化の法則」のためだ。
時代を経るにつれ彼らは「-ル」を脱落させて、「ニッポン」と言っていたのを「ニホン」と発音する人が多くなった。そのようになると日本政府は国号を直して統一させようと、明治初期に緊急国会を召集して討議したすえ、「ニッポン」と発音するのが正しいという決議を通過させたが、今でも多くの人が「ニッポン」とも「ニホン」とも言っている。
一つ付け加えると、日本の元々の国号「ヤマト(邪馬臺)」とは、高霊(コリョン)地方を中心に栄えた古代部族国家「ウガヤ」の国号であり、日本列島に渡って現在の「ナラ県」地方に定着してその地域に新しい国(ナラ)を建てた我々の先祖が付けた名前だ。
今日、その地域を「ナラ県」と呼ぶのも、我々の先祖がその地に新しい国を建てたためであることを立証してくれる。(翻訳 2ch 犇@犇φ氏)
対馬島は上古時代からウリの領土だった!(ブレーキニュース 韓国語 2008/01/11)
<歴史研究者生涯研究大公開-5> 「ツシマ」は2つで成り立っている島
対馬島(テマド)は釜山から南東へ約50kmの所にあるから、天気の良い日には肉眼でもはっきり見える。したがって、遥かな上古時代から日本列島を開拓した我々の先祖のうち、多くの人がその地に渡って定着したはずであることは、疑う余地が無い。
今では「テマド」(対馬島)と呼ぶが、かつては「トゥシマ」(2つで成り立っている島という意味)と言った(訳注:韓国語で2は「トゥ」。ちなみに島は「ソム seom」)。日本人が「トゥ」という音を発音できないために、日本語では今「ツシマ」と言っている。韓国語の「トゥヌェ」(頭脳)を日本人が「ヅノウ」と発音し、「テドゥ」(大豆)を「ダイヅ」と発音するのと同じだ。
西暦1900年に刊行が始まり、今も変わらぬ権威を誇っている『大日本地名辞書』も、「対馬」は元々、船着場を意味する「津」に「島」を付けた「津島」であり、「対馬」という漢字表記は中国人が「魏志」で初めて使いだしたという。
「対馬」という漢字表記が初めて見られるのは「日本書紀」(敏達天皇12年)だと『大日本地名辞書』に書かれていることから見て、「トゥシマ」という韓国語が「ツシマ」と発音されるようになったのは非常に昔からのようだ。
唐代に編纂された「北史」隋書の「倭国伝」には、ツシマが漢字で「都島」と表記されているという。8世紀初めに編纂された「古事記」(建国神話)には「津島」と書かれている。
この「ツシマ」は、新羅時代に大耶城の提督であった宗貞(チョン・ジョン)と、高麗時代の大将軍だった宗煕(チョン・ヒ)の子孫が代々支配していたが、『大日本地名辞書』によれば、高麗時代に当たる鎌倉時代に幕府も宗氏家門を「ムネシ」(宗氏)と発音して「ツシマ」の領主と認めるようになった。こうした理由で、宗氏は韓国との交易を主要産業にして近世に至るまで栄えた。
我が国の領土である独島(訳注:竹島のこと)を自国領土だと最近言い張っている日本人とは違い、「ツシマ」が古代から我が国の所有だということは、語源から明かされる島名の由来から見ても『大日本地名辞書』の証言で確認されうる。
馬山市が「対馬島(テマド)の日」を制定したのは、独島問題による一時的興奮がもたらしたものではないということを、小学生から始まって全国民にまで冷静に広報すべきだろう。(翻訳 2ch 犇@犇φ氏)
日本記録、1622年朝鮮の人独島住んだ(ブレーキニュース 韓国語 2008/01/11)
<歴史研究者生涯研究大公開-6>日本発刊「大日本地名辞書」独島=韓国の地
数年前、ソウルに駐在していた日本大使が私たちの地である独島を彼らの物だと言い放って私たちの心を非常に乱した。
1622年に多くの朝鮮人が住んでいた
そんなでたらめな話をする高野紀元大使と無茶な発言をオウムのように本国の指図どおり述べた新任大使たちに西暦1907年に日本で発刊された『大日本地名辞書』(吉田東伍著)を見せてあげたい。その辞書の第2冊、434ページにはタケシマ(竹島、すなわち独島)に対して、およそ以下のような説明が書かれている。
タケシマ(竹島。慶長以後(壬辰の乱以後を意味する)、辺海の漁民たちが竹島に往き来してその場所を占有したようで、米子史に次のような記録が見える。
「1621年に村川正勝という人が海を渡って竹島に行ったところ、少しの朝鮮人がその島にいることを見て直ちに米子に帰って来て、その事実を官庁に報告した。その翌年の1622年に、官の許可を受けてまたその島に渡って見たら、多くの朝鮮人が住んでいたので、二人を生け捕って帰国して実態を官に報告して竹島に往き来することを公認してくれるように訴えたが、官は、1623年、米子の人々が竹島に往き来することを禁止した。その一方、江戸幕府は、対馬島の領主である『ムネシ』(宗氏)に命じて、朝鮮政府と一番勝負するようにした。」
宗氏が「私たちの地である竹島に貴国の漁船が頻繁に侵犯するので、私たちの漁民がそのうちの二人を捕らえて来てそのような実情を報告して来た。しかし、ここに彼らを返す」と言うと、朝鮮政府の礼曹(外務次官相当)は「その場所は文献的にも、我が国との距離でも、私たちの土地であることが明白であり、貴国が見誤っている」と決然と拒否した。
このようになると江戸幕府も仕方なく朝鮮に屈服して仲直りをして、竹島に行くことを禁止した、この時が西暦1699年だった。
明治16年、西紀1883年、韓日両国政府はまた竹島の領有権をめぐって一番勝負をしたが、その結果、日本政府は竹島に渡った船をすべて撤収させて、二度とその場所に行かないように命じて、竹島が朝鮮の土地であることをはっきりとさせた。
日本政府が竹島の領有権が私たちにあることを確認
以上は『大日本地名辞書』の記事を簡単に要約しただけだが、これだけでも、明治時代に入ってからも、日本政府が竹島の領有権が私たちにあることを確認したという事実が分からないだろうか?(翻訳 2ch 蚯蚓φ氏)
1692年におきた『鬱陵島』の領有問題である【竹島一件】(鬱陵島への渡海禁止 外務省)のことですね。
朴炳植(パク・ピョンシク)/歴史学者:日本天皇家を生涯研究してきた歴史学者。日本の大学で教授を務め、著書に『日本語の悲劇』『日本語の発見』など20冊余りがある。現在は韓民族文化研究院学術顧問。
来年の「韓国の大河ドラマ」の脚本はこれですね。

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韓国人の日本偽史―日本人はビックリ! 野平 俊水 by G-Tools |












しかも、よりによってこのネタとは…
見ての通りですよ
やはり日本人は韓国の弟だったのですよ
文化においては日本人が韓国の弟であることははっきりしていました
民族においてもこれではっきりしましたね
日本人は過去の歴史にはっきり向き合わなければいけない
私の知っている限り、日本の(以下略)朝鮮ではないかといわれて(以下略)
そして、在日の同胞たちを受け入れなければならない。それがせめてもの償いなのです
私は日本人ですが(以下略)謝罪と賠償(以下略)
南北統一のための資金も日本が弟として(以下略)
頭痛くなるな…だいたいこんなもんだろ
トクトは…
兄として愚かな弟が…(以下略)
猿真似…(以下略)
謝罪と賠償の(以下略)
独島は(以下略)
対馬も(以下略)
日本人は恥ずかしい
他に何か?
これ以外彼らが発言したの、聞いたこと無いw
あ、これが狙いか?w
現代韓国語の音と似ているからというのはなぁ・・・。
生涯研究が数秒で論破されるというのはどんな気持ちだろうかw
きっと大ヒットするぞ
韓国っていいよなー。妄想がすごいだけで学者になれるんだもん。
ならそろそろ自衛の戦争の準備だなw
現代韓国語の音と似ているからというのはなぁ・・・。
「韓国語は唯一無二の完全な言語であり、音が変わることはない」ということで、脳内補完が完了するんじゃないかなぁ
何にしても、幸せな人達だ。
俺も、これぐらい人生を楽観的に生きることができたら…
以前、TV番組「ここが変だよ日本人」を観てたら、韓国人の女性が、
「私は日本に対して劣等感がある。韓国は日本に対して劣等感がある。」
といった様な内容のことをポロっと口にしてしまった。
その途端、会場にいた(在日?)韓国人たちが一斉に、ものすごい形相・大声・手振り身振りで、
「劣等感なんかないぃぃぃぃ!!!」
と必死になって否定してた。
連中のその異様な必死ぶりを見て、会場中が、
(ああ、こいつら、日本に対してものすごいコンプレックス抱いてるな)
と確認してしまったっけ(笑)。
自国に伝わる古文書も読めないし、
万が一読めても、自国に都合が悪いと燃やしちゃうから
いつまで経っても妄想歴史しか作られない。
正に負のスパイラルw
どうでも良いけど韓国の歴史学者って
自国の歴史を研究すればする程悲惨な過去しか出てこないもんで
ほとんどがこんな風に頭パーになっちゃうんだってさw
一握のまともな学者が出て来ても
例の「親日派弾圧法」で社会的立場を抹殺しちゃうんで
結局こんなパーしか残らないw
正に負のスパイラルw
歴史と言うものは積み重ねであり、基になるものがなければ次の物は生まれない
歴史の流れを大局的に順々に調べていくと、過去が見える
大航海時代→日本の鉄砲伝来→長篠の戦い→武田家滅亡みたいな。
自然発生的に武田家が潰れたわけではない
わからない部分は「オーパーツ」になったりする
時折行き詰まるが、ちょいとした発見などで新しい仮説、新しい歴史の繋がりが見える
普通は時代のパズルを解いていって過去に戻る
朝鮮人のそれは、結論ありきで調べるから整合性が取れなくなる
整合性がとれない部分を「日帝の破壊」で片付けるから不思議歴史になる
とはいえ、きっちり調べると、彼らの精神衛生上悪い結果しかない
自尊心に不釣り合いなカスのような歴史しかないわけでねぇ…
朝鮮の不思議歴史
現在→日帝の破壊→秀吉の破壊→「不思議な資料」→中国属国→歴史家の不思議仮説→朝鮮の望む過去
ひどいときには、不思議資料すら現代で捏造する
資料の捏造は、前後の整合性が必要なので、日本においては難しいが、朝鮮では前後の資料もないので、それも作るw
実際の歴史は
現代→あちこちの支配→原野
これが現実
古代だろうが、基礎国力の無い国に新しい発明や帝国の建設は無理
日本に執着すんなっての。
キモイ。キモ過ぎる。
こんな事を言うから韓国嫌いになる人増えるのに・・・判らないのかな?
トクトとムクゲは、更に大変だろうなw
「○○さん・・・その本教えなさい・・・」
と凍りつくような笑顔で言っていた大学教授を思い出しました。
出撃しそうだな・・・。教授。
そうだ、そうに決まった!w
のむタンの唄なんて、もう何十年も前のことのように思えるよ。
あ、韓国でフォークソング歌うと親日法で財産没収だよね(笑)
何かコメント考えるのめんどくせ。
そんな気にさせる記事だなw
望んでも、望み得ぬもの。
自らの努力と研鑽は棄て、狂おしいまでの渇きのみが、叶わぬ思いのみが、剽窃と捏造だけを生む。
自ら望んで心に地獄を育む者だけが持つ不可解なる妄想が、壮絶なる現実との対決を生む。
次回「逆恨み」
流される己の血潮で、渇きを癒せ。
一生懸けた研究がこんなモノなんて哀れ過ぎる。
完全に無駄な人生じゃないか…。
男B「いや、どっかで見たような」
男A「そうか。例の中途半端なトンデモ反日で釣ったのなんのと喜んでるトクトって馬鹿とつるんでるサクラユキって虚言癖のある阿呆だ」
男B「潰すか?」
男A「無用な殺生は可能な限り避けろとのお達しだ。つついて笑い物にしとけ。どうせもう何を書いても誰も読んじゃいないさ」
男B「やれ(『予告』送信)」
いや、もう内容ついてコメントする気が失せてくるほどの電波ぶりだ。
こうえいう学者がイロモノな少数派ならまだ救いがあるんだが、例のバッファリン作戦の李泰〇を筆頭に資料の内容より自分の想像を優先する連中ばかりだからな。
ゆえに、その自慰妄想を阻害したらキチガイのごとく怒り狂う。
これを火病という。
このような事が何故、起こるのか?
それは、中国歴代王朝の千年属国が原因である。
常に強い者に媚びへつらわなければ、生きていけなかった朝鮮民族が、
唯一、逃げ込める場所は妄想の中だけしかなかった。
長年、妄想で自慰し続けた結果、しだいに現実と妄想の区別が
つかなくなり、自分達の都合の良いことだけを真実とし、
都合の悪いことは捏造だと思い込むようになった。
もう一つの特徴として、朝鮮民族が小動物や障害者を娯楽と
称して虐待する風習は、
千年属国時代、自分より立場が弱い存在は小動物や障害者などしか
存在しなかった為、ストレス発散の対象にされたものと思われる。
どうにかこうにか「日帝が悪い」的な方向に持ってくんだろうから
先制攻撃でこれを貼り付けとこう。
>韓国軍のベトナム民間人虐殺
>ttp://www.altasia.org/hangyore/hangyore99256.htm
>私の村は地獄になった(韓国軍による虐殺)
>ttp://www.asyura2.com/0411/war61/msg/748.html
こういう事を平気でやらかす様な糞土人が
偉そうな事言ってんじゃねーよ。
日本に謝罪と反省をつーなら、お前らが手本を見せてみろ、蛆虫共めが。
現実は映画同様見るに耐えない惨状だからな。
俺がもし韓国人で真実の歴史を知ったら、やはり国を捨てるか火病起こすかしか選択肢はないのかもしれん…。
しかし李朝以前の史書がないのは分かり切ってるのに、日本の古事記とか引っ張り出してまで必死に造り出してるのは笑った。まさにコリエイト
日韓共同歴史研究とかもこんな感じだろ?
日「資料を見てください」韓「確かに資料はそうニダが…」
日「資料を見てください」韓国「韓国に対する愛情はないニカーッ!」
アメリカと日本への依存体質という現代韓国の病が劇的に治るとでも思っているのかい。
マル派さん
だめ狼さん
コメント頂いたのに申し訳ありません。
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1.1ゲット!!
って、管理人さん記事が二重になってますよ。
Posted by マル派 at 2008年01月14日 23:56
2.あ。分かった。
実はこれラノベじゃね?
でも、ラノベも現実と思っちゃう様な馬鹿ばっかだしなぁ、朝鮮土人。
小説も妄想歴史家も大差ねーんじゃ話になんねぇな…
Posted by だめ狼 at 2008年01月14日 23:57
あらら、削除されるのを見越して1ゲットなんておふざけを書いたのにw
転記されると思わなかったw
高田崇史って千葉千波君シリーズの人?
あのひと韓国に関してなんか書いてたん?
もしよければ書いてる本教えてくれ〜
詳細は割愛するとして、私からは二点。
日本云々の前に、
「自国半島の歴史から先ず学び直せ」
そして
雲でも何でも構わぬから、「リアリティある渡海の方法を考えて示してくれ」
コイツ等、こんなんで飯食ってんのかね。
楽なおクニやの〜〜
でないと、この執着ぶりの説明が付かないんだけど・・・www
美しいって罪ねwww
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1200317842/
■「日本は伽耶領。韓日はこれ以上憎しみあうな!」
都市国家連合体である伽耶(太陽民族、光明の民族)の一部族だった新羅が、慶州地域で高句麗から独立して新羅国を建てた。伽耶時代に既に日本の島根県地域へ渡って暮していた昔氏の脱解(島根生まれ)が新羅の第二代の王である南解次次雄の女婿となって、儒理王の次の王になった。当時は、日本全土が高句麗・百済・新羅・伽耶の領土だった。
(中略)
昔氏の訖解王と息子が殺され、孫のうち一人がかろうじて生き延びて、故郷である日本の出雲に帰ってから、韓日関係が根本的に狂い始めたと私は見る。
そのときから、新羅への怨恨を晴らすことが昔氏一族の日本での活動となった。新羅の王であったという高貴な身分を押し立てて日本政府の全財産を管理する職責を引き受けたことで自然と権限が多くなり、権力を振り回して天皇位までも夢見た。昔氏王族である蘇我一族は300年にわたり栄華を誇り、国務代行兼財務長官の職に就いて、新しい天皇たちを擁立するたびに深く関与した。百済と手を握って新羅を取り戻せぬかと模索し、昔氏王権の回復と新羅王権の転覆の機会を狙って努力を惜しまなかった(朴炳植「私たちの先祖が建てた日本国」参照)
朝鮮王朝の宣祖25年(西暦1592年)から壬辰倭乱(訳注:秀吉の朝鮮出兵のこと)が6年間続いて1598年に終わるまで日本の朝鮮侵略が執拗に続き、その後も日本の国力が強まった時には必ず侵略の本性を現わした。また、日帝強占期35年は大韓帝国を徹底的に踏み付け苦しめた現代史だが、振り返って考えて見れば、昔の伽耶を吸収した新羅を憎んで、「主人(ニム)の国(ナラ)」(任那=伽耶)を失ったという悲しみと昔氏王朝の怨恨に満ちた報復が重なった業報ではなかろうか。はなはだ気が重くなる感がある。
神様を「アリラン」と歌う天の直系子孫とし、自らを太陽だと表現する、言語を同じくし根が一つの同じ民族、太陽族の子孫たちの争いが、いつまで続かなければならないのか。いつになれば終わりが見えるのだろうか。両国の和解精神と赦しと寛容が花開く時が来た。もうこれ以上互いに憎まない! 互いに許そう!互いに愛しあおう!昔の先祖の「弘益人間」精神だけが唯一の解決策たりうるであろう。【姜ドンミン/韓民族文化研究院理事長】
▽ソース:ブレイクニュース(韓国語)(2008/01/14 13:49)
なんと言うか、
最終的に「語呂合わせ」に行き着いたとは…。不憫な…。
そりゃそうと朝鮮半島に、朝鮮系中国ではなく、純正の中国人によるチャイナタウンってあったっけ?
何でよりにもよってこんな国が日本の隣なんだ。
朝鮮併合だ日帝支配だってのは同じ民族同士なんだから全て正当は権利を行使したってことでw
ウリ→瓜
ナラ→奈良
つまりは「奈良漬け」へと変じたことでもよく解る。
奈良漬けは韓国発祥であり、奈良は黒い山葡萄原人が半島から日本に渡り、定住した最初の土地だということを確認しなければなりません。
曾野綾子さんを知っていますか。深い信仰心を持った日本の良心を。日本人はまともな文学、曾野さんの本を読み、甘えを捨てるべきなのです。
そんな気を使ってくれんでも良かったのに。
わざわざすいません、ありがとうございます。
>桜雷さん
その微妙な短さが良い感じですねw
トクムクも、出てくる前から散々叩かれてるもんだから
さすがに出にくいのか?w
だから日本のものはすべて韓国起源ニダ!
だからチョッパリはウリ達に感謝し土下座してカネ渡すニダ!
…全部を要約するとこんな感じでいいのか?
しかしチョンて本当に本当にアホなんだなw
日帝がどうのこうの言う前にその民族、遺伝子レベルでの“寄生体質”を改めるなり認識するなり・・・できないんだろうねw
できないからこんな恥ずかしいこと言ってのけるんだな、大学教授クラスでwWwW
一般市民が火病るのは当然の流れだなWWW
教授なんだぜ、これ……。
一番新しく造られた言語の一つって韓国人自慢げに言ってなかったっけ?
海もなんとか渡ったとしよう。
国も作ったとしよう。
だがな、そこから現在まで全く違う道を連綿と歩んできて国まで別れてしまったのに、なぜ一つにしたがる。
要は、こいつら韓国人が日本とその機能を欲しいだけだというのが、毒々しい妄想となって文面から噴出してきている事で理解できる。
とんだサイコの恋文だな、こいつは。
朝鮮で使われ出した言語ってものなら
15世紀からあった…とか言われてる。
勿論、確認はしていない。
だって、ソースがないんだもんw
そして、当然の事ながら
その言葉が今の言語だったってソースも存在しない。
日本にいるのは優良朝鮮人
半島にいるのは劣等朝鮮人
しかも謝罪・賠償の必要すら無くなりませんか?
プルツーとプルートゥは同一人物だ、って言うくらい無理がある。
ホントかわいそうw
おならの事を「カラ雲」などと申しましてな。
そこからこの教授並の思考で参りますと、
つまりウンコに乗って朝鮮人は、日本に来たというワケですな。
そりゃあ、そんなものに乗って来た汚くて臭い奴が七人もいたんじゃあ、たまったもんじゃありません。そこへ来て「ウリはウリは」とギャーギャー喚かれたら堪らない。
臭いわ煩いわで、こうなったら燃やしてしまえと纏めて一つ所にひっくくって活火山に放り込んだ訳です。
見事なまでの自己投影です。
朝鮮人は、自己投影ばかりしますね。
教授という伝達を主とする職業、わけても教育の要にある者が肯定して良い行為や意見では無いわな。
駄目な国なワケだわ。
日本の姓氏は約30万件近いと言われ「7000傑の苗字で全人口の約96%強をカバーしている」らしい。
人口のはるかに多い中国では姓氏の種類は約4100種類程度で、韓国に至っては記事中のように1985年の国勢調査で274種である。
金氏の系図発行の規制があったかどうかは知らないが日本の種類は多いよなぁ。なんで?
中国人の名字は4100種類、過去に2万種類が消滅:レコードチャイナ
http://www.recordchina.co.jp/group/g5552.html
日本に渡ってきた韓国の文化など全ては日本の地で変えられ無に帰ってしまったと考えるのが妥当。
つまりどっちに転んでも無意味。
ファンタジー論を持ち出してまで何とか夢を見たいのだろうけど
足を地に付ける方が先だと思うんだけどね…
韓国はそういう国。
要約すると↓みたいな感じ。
「どうやっても過去には戻れないのだから
過去の事を議論しても無駄。
ならば常に最新の学説が最も正しい」
だってさ。
歴史までそんな発想を持ち出してくるなんて
さすがに呆れたよw
※62さん
韓国は苗字や氏素性まで捏造してるから
極端に苗字が少ないんだよね。
戦後のどさくさか何かで、
戸籍が焼失した(俺は自分達で燃やしたと見ている)時に
みんなで勝手に両斑の名前を名乗り出した。
だからみんな一緒の名前になる。
韓国の同じ苗字の連中は、みんなご先祖様一緒なんだよw
馬鹿だねw
一生懸命頭を捻って、どうやって擁護するか考えてんのかな?w
済んだ事だもん。
変えられるのは、未来だけ。
現在は未来のためにあるんだが、その現在は必ず過去の行いの上に立っている。
どんなに棄てたい過去があったとしても棄てられないし、逆にその棄てたい過去を省みるから、そこに帰結しないように人は研鑽をして、自分の望む姿になろうとする。
そして、なりたい姿に近づいてゆく。
過去の行いを礎として、理想の社会を作ってゆく。
過去を捏造して得られるものは何か。
『欲しい未来に対して現在の努力をしなくてすむ、なぜなら俺はずっと正しく過ごしてきたからだ』
そういう怠惰な考えしか持たなくなる。
その結果、過程を無視して結果だけを欲しがる為に、盗みを平気で行なえるようになる。
韓国や中国のやり方を肯定する人は、頭の中まで盗人になってしまった奴としか思えない。
ニダサーガ エピソードII[正誤の彼岸]
ニダサーガ エピソードIII[のむひょんはかく語りき]
ハードは「威力棒」から出る予定!
自分たちが底辺だって判っているからこそできる事だよね、コレ。
しかし、巻 き 込 む な !
かなしすぎてちょっとわらってしまうことってありますよね
ね
工人と呼ばれるのは、主に渡り歩く南蛮族の出自だが、遊牧民の漢族とも朝鮮族とも、異なっている、彼等も迫害や差別を受けたため、逃散して15世紀には、すっかり居なくなって、朝鮮には文化の担い手が居なくなったというわけ、だから、19世紀末の惨状が説明できる、庶民文化というモノは当然、宮廷文化と呼べるモノさえなかった。
現在に暮らす韓国・朝鮮人を開明したのは日本人であることに疑いはないワケで、其処を否定したいが為に、歴史改竄に躍起になっているのは、見苦しいだけ。
日本が朝鮮の系譜を通じているとしよう。
でもこの文化の開きは何なの?
同祖ならもっと類似点があってもいいじゃん。
昨日までの努力の上に今日がある
過去の積み重ねが未来につながってる
そんな事も分からない
だから今日も努力しないで
明日どうやって威張ろうか考えている
この二つの勢力は、原因も定かでない戦いを百年も日本に仕掛けていた。
はじめはこの国々を笑い続けていたが、俺がブログに書き込む頃にはネタが拡大し、地球上にあるすべての国々が特定アジアの被害に巻き込まれていった。
俺は段々笑えなくなった。
初めは生まれ故郷の日本に向けられた大嘘を論破する為と信じて事実を書き込んだ。
だが、論議はいつも特定アジア側の空転と事実無根と狂気で長引くばかりで終わりがなかった。
俺は笑い疲れた。
誰も彼もが笑い疲れていた”
そいえば、おみおつけって言葉はだんだん変化して、できたんだってね。
そういうのって、全然考えてないのかな?かな?
結果、毎回毎回自爆します。
もしかしたら自爆するのが趣味なのかも知れない。
自分や建造物にすぐ着火するのも
根底にあるのは「自爆癖」なのかも知れない。
あれ?これ人類学のレポート出したら新発見じゃね?
ノーベル賞取れるんじゃね?
支那にしろ半島にしろ、歴史と民族が何度も断絶している土地・国土では、看板に偽りありでも、
『いうたもん勝』
『記したもん勝』
なんよな。
マジにキモイはこいつ等。
これならまだ『日・ユ同祖論』の方が理論体系がしっかりしてるわ。
劇画にもなっとるし。
無理だよ、だって人類じゃないから。
http://aoki.trycomp.com/2008/01/post-8.html
保守の分解が始まる
http://aoki.trycomp.com/2008/01/post-9.html
PS:
結局、北朝鮮崩壊の面倒と中国による再属国化の恐怖が、このごろの日本に
擦り寄る発言なんだろうな。
けどな、アメリカと中国と対峙しないといけない日本だって大変なんだぞ。
とても、朝鮮という厄介者の面倒はみきれんし、あの国あの法則が日本に
発動してはたまらんので、朝鮮とは関わりたくない。
あと、日本がアメリカと中国の挟撃に反撃できる可能性は、朝鮮が中国の一
部になって、アメリカと中国にあの国あの法則が発動することである。
スゴイ長い記事であることに1ビックリ
その内容が虚言であることに2ビックリ
トクト&サクラユキが来ないことに3ビックリ
他人の文化や歴史を掠め取ることに夢中なのが理解できない。
あっ!しまったっ!
言われてみればそうですね。
う〜ん、じゃあ「生物学」?
あれ?生物学は大丈夫ニカ?
これはノーベル賞取れるニカ?
(ノーベル賞欲しくて欲しくてしょうがないのに
何故か1個も取れない朝鮮土人の真似)
あと、その売国奴ごっこ大好きさんは、長文が苦手だという事も。
やれやれである。
えーと…誰が言った言葉だか忘れた(笑)
長すぎて翻訳サイトが上手く働かないから読めないニダ
その発想はなかったwwww
そうか、だから来ないのかwww
どこがおかしいのか良く分からないニダ
日本の歴史授業も受けてないから比べられないニダ
言うか飽きてきた感がするが、今度は
まとめ打ちっすか。
大統領も変ったんだし、ちっとは
自国の事に専念しろよ。歴史も経済も
インカみたいに文明が滅亡していないんだから、今ならもっと凄い技術を持っている筈よね。
なんで今、また新たに世界を作り直すとか導くとかしないのかしら。
て言うより、インスマスって最初から人類じゃないわよね
同一人物ではないです。
あきれているだけだ・・・。
放火もこれも擁護終えることができない。
このような事を信じる人は周りもない。
でも、同一ミンジョクなんでしょw
まさかと思うが、「擁護もしないが信じもしない」って事?
キミの文章は、他人に対して正確に伝達することを前提としていないね。
しーっ!
…翻訳機使ってるんだからそれは言っちゃ駄目><;
同じ祖を持つ同志という考えにならないところが
キモすぎる。
日本人は滑らかな筋肉、朝鮮人は部分的に盛り上がってる。
それと朝鮮半島に歴史的価値のある物ってあるのかな・・・朝鮮半島に長い歴史と文化があったのなら何かしらあるでしょう、まったく無いのは衝撃的過ぎるよ。本当に国と呼べる地域があったのかさえ怪しいよ、そう思われても仕方ないじゃん
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