(中央日報 2009/07/08)
1871年11月に横浜の埠頭で、米国・欧州諸国に派遣された岩倉使節団を見送るイベントが行われた。太政大臣の三条実美が朗読した送別のあいさつには使節団の性格や目標がきちんと示されている。「外国との交際は国家の安定と危機に関係し、使節の能力は国家の栄辱に関係する。今は大政維新、海外の各国と肩を並べるべき時点だから、その使命を遠い異国で完遂しなければいけない。内外の政治、将来の大業が成功するかどうかは実にこの出発次第であり、あなた方の大任にかかっている。大使は生まれつきの立派な資質を持ち、中興の功績がある元老だ。共に向かう多くの卿らはすべての国家の主席であり、官員らも一時の人物である。皆一致団結してこの立派な志のために協力し、職分を尽くさねばならない。私はあなた方の意志が実現される日が遠くないのを知っている。行け!海で蒸気船に乗り換え、陸地で汽車に乗り換え、遠い異国の各地を回り、その名を世に轟かせた後、無事帰国するよう祈りたい」。
使節団を率いた特命全権大使の岩倉具視(小さな蒸気船に乗った着物姿の人)と武士・大久保利通らは明治維新の主役であり、帰国後に政権のヘゲモニーを握った実勢だった。これらは政府の各省庁の中堅官吏ら41人と留学生43人など約100人を率いて壮途に就き、1872年9月までの1年10カ月にわたり、米国・英国・フランス、オランダ、ドイツ、ロシア、イタリア、スイスなど欧米先進国の文物と制度を見学した。
使節団が収めた成果は使節団に同行した歴史学者、久米邦武によって全5冊からなる「米欧回覧実記」という本に活字化、出版され、全国民が共有できる知識・情報となった。同氏が「使節のすべての成果を国民の一般的な利益と開発のために編集、刊行する」と本の始めの部分に書いたように、天皇ではなく国民を代表すると考えた岩倉使節団は自分らの経験を国民と分け合った。
10年後に日本を見習おうとした朝鮮(チョソン、1392〜1910年)の朝士視察団(1881年5〜8月)はそれらが収めた成果を盛り込んだおよそ80冊の報告書を高宗(コジョン、朝鮮第26代王)に謹上した。しかし書道に上達している衙前(朝鮮時代の官衙に所属した小役人)が2カ月にわたって一文字ずつ誠意を込めて手書きした絹の表紙のこれらの本は、国王と一部為政者の政策決定のための参考資料にすぎなかった。
1世紀前に東アジアで起きた近代へ向かった「時間の競争」で韓国が遅れてしまった理由がどこにあったかが自明である。
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朝鮮と日本、知識人交流の貴重な記録 (東洋経済日報 2008/09/26)
(略)朝士視察団は代表12人で構成され、それぞれに随員2人と通訳1人、下人1人がつく5人1班を基本に編成された。総勢62人に及ぶ政府視察団である。彼らは12の班に分かれて、文部省、内務省、司法省、外務省、大蔵省などを訪問する一方、造船所、造幣局、印刷局、紡績工場、製糸所、鉱山などの施設、さらに学校、図書館、病院、博物館、新聞社などを訪ねた。 一方、日本の近代制度を学ぶため、各省庁で官制、海軍・陸軍で軍制を、ほかにも税制、刑法などについて学んだ。また三条実美太政大臣ら政府要人とも会見し、日本の開化政策について調査した。帰国後に報告書がつくられ、その内容は、朝鮮政府内部の開化派の発言力増大に大きな影響を及ぼしたとされる。(略)
明治維新を成功させ近代化に向かって進む日本は、朝鮮に対し開国圧力を強めていった。1875年9月20日、朝鮮の江華島付近で日本軍艦の挑発行為により朝鮮との間で衝突事件が起きる。日本は武力で鎮圧し、朝鮮政府に条約締結に向けた圧力をかけていく。 1876年(明治9年)2月26日、朝鮮と日本は、朝日修交条規(江華条約)を結んだ。これにより朝鮮は開港と日本の居留地を認め、それまでの鎖国からいや応なく開国への道を歩むことになった。その開国を余儀なくさせられた朝鮮政府が、日本の実情を視察するために送り出したのが朴定陽を代表とする朝士視察団(紳士遊覧団ともいう)で、1881年(明治14年)の4月11日に長崎に到着、日本各地を視察した後、7月28日に神戸をたっている。朝鮮と日本の関係改善、日本の実情および世界情勢の理解などが主な目的であった。 |
出版したところで読める人もいないですしね。
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日東壮遊歌―ハングルでつづる朝鮮通信使の記録 金 仁謙 高島 淑郎 by G-Tools |










でも、
「一般人は、文字が読めないnida」
なにか間違ってる気がする。
近代化以前に、その段階で既に数百年遅れていたのを忘れてはいけません。
朝鮮人にしては自省的な文言であり多少評価できるものの、大事なことは「理由は決してこれだけではない!」ということも気付いて欲しかった。
一般大衆レベルに教育が施されていなかった事実こそ、所詮何をやっても無駄と言わざるを得ない所以である。
隣に日本があれば、どんな部族でも韓国位にはなれると言ったのはフィリピンだったっけ。
世界有数の識字率を誇った日本と一緒にしてもらっては困る
牛を例えるのに無理に腹を膨らませている蛙のように。
昔も今も何も変わっていないことの自覚ゼロ。
順位という見てくれだけをギャァギャァ言うしかない頭では、
100年たってもチョッパリとの距離は埋まらんでしょう。
出版しなかったというより、出版という選択肢を持てなかった面もある。
もっとも識字率の上がった今でも、国威発揚の偏向ホルホル記事ばかりで負の効果ばかり目立つけど。
言論の自由が無いと、識字率だけ上がってもダメってことか。
おまけにホルホル回路内蔵で歪曲されまくった報告書になってんだろうなぁ
イルボンはいつまでも昔の恥で鮮人をいじめて、未来志向が足りないニダ!
近代国家に生まれ変わったウリナラの使節は、今では鶏を盗むなんてはしたない事はしないニダ!
せっかく国費で海外に行ったのだから、図書館で地図の東海表記を確認するニダ!
ああ忙しい
朝鮮通信士ですら鶏を盗もうとするんだぜ、この時にも盗む気満々で来ていたんじゃないか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090708-00000016-mailo-l22
ただし本当の事であれば、ですが。
そのころ朝鮮は日本より500年は遅れてただろ。
今でも、30年以上の差があるのに。
>7.
>界有数の識字率を誇った日本と一緒にしてもらっては困る
こらこら、過去形で書くな。相対化するな。江戸時代から現在まで、日本人
の識字率は世界ダントツトップだ。(途中35年間は、ひょっとしたら二位
以下に転落していたかもしれないが)
それすら普及しなかったぐらいだしなぁ。
いや、文字が必要無かったのか?
日本の場合急速に西洋学を取り入れたのは良いとして警戒と正しい判断が足らなかったのでは?今日の各問題は西洋的考えが根底に有る様に思えますね。特にトップ連中の洗脳度は悲惨的です。
自国より日本が優れてたら火病るのにさ。いい加減やめて
かの国は、日本がわざわざ一般大衆にまで漢字を学習する機会を与えてやったのに、今や自らの手で漢字を捨てようとしている国ですよ。
つまり、そもそも教育を与えても全くの無駄という欠陥民族の証左に他なりません。
そして教育も教養も無い人間に外国の情報を与えても、腹の足しにもなりません。
ただそれだけのことでは?
本文読みました?
かの国は国民に共有しなかったから我々は日本に遅れをとってしまったと言ってる訳ですので、共有すれば買ったかもしれないというのを識字率が低いから無理だと反論しただけですよ。
まあ、仮に当時識字率が高かったとしても、おっしゃる通り情報を与えても歴史は代わらなかったでしょう。
ただ、文化レベルというのは一つだけ上がるということはありえませんので、識字率が(現在でも)低い以上は資料を読み取る能力があがるとは思えませんけどね。
これが生活向上の知恵というものです。
国は向上しませんがね。
何にとって参考になったんだかw
そもそも字も読めん土人に読んで聞かせろとでも言うのかねww
国王を取り囲んでた有象無象どもは特権を喪失する近代化なんて望まなかったんでしょ。
伊藤博文は大韓帝国を発展させて日本の同盟国にしようと尽力したのに撃ち殺された。
永田鉄山は半島の自治を拡大して将来的に独立させようと構想してたのに気違い将校に斬り殺された。
日本では保守的な階層を代表してた公家の岩倉ですら西洋文明の圧倒的な威力を見て日本を根本的に変えることに同意せざるを得なかった。
西洋文明を一度も直に見てない明治政府ほぼ唯一の最高指導者だった西郷隆盛が独裁的権力を握ってたら朝鮮みたいになったかもと思うとぞっとする。
明治六年の政変で西郷に同調した参議たちはほぼ全員西洋の視察なんかしてなかったし。
伊藤や永田が非業の死を遂げたのはやっぱり法則なのかな〜。
国民の教育が、韓国ではほとんど行き届いていないのだから、仕方ない。
できるはずだった、優秀なはずだった、なのになぜ?
という、ここにあるような意味の無い堂々巡りが
朝鮮人の常だが、人類の常識はそうではない、
できた・できなかった、という結果の後で得られるのが評価。
できるほうを優秀と呼び、できないほうを劣等と呼ぶ、それだけのこと。
自分たちが劣等であるという事実から脱出する方策を考えずに、
自分たちが劣等であるという事実にたどり着かないように
思考をループさせるのが朝鮮人。
また、朝鮮語自体も原因・結果・未来・過去・願望・現実の関係が漠然としており、
ループを形成しやすくなっている。
…朝鮮語自体が、奴隷に論理的思考をさせないように作り上げられたものなのかもしれない。
朝鮮人の留学生による盗みとしり
叱ってもも 俺は両班だと開きなおる者ばかり
度重なるうちに 世間の知るところとなったのは
朝鮮人は泥棒の イメージが定着した
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